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『与える心』『捧げる心』『尽くす心』

『与える心』『捧げる心』『尽くす心』を起こすということが、神さまの祝福を大きく受ける秘訣です。

何故なら、神さまの御心とは、与える心・捧げる心・尽くす心そのものです。

それに心の波長を合わせることによって、神さまのすべてを受けることができるからです。

 

 


神さまは全大宇宙のすべてのすべてです。

そのどの部分に対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしても、神さまに対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしたのと同じです。

神さまの祝福は必ず、大きく降り注がれてくるのです。

 

 

 

与える心・捧げる心・尽くす心は、本心の心です。

本心の心は、神さまの祝福を、”素直に・喜んで”大きく受けることができるのです。

またその与える心・捧げる心・尽くす心は、どんなに小さなものであっても、その心は神さまの祝福を大きく受ける資格を持っているのです。

だから大きく大きく受けてゆかなければならないのです。

 

 


与えるものが少ないから、大きく受ける資格が無いなどと思うのは、業想念(不平・不満・愚痴・虚栄心・執着心・我)の心に惑わされた結果です。

決して決して神さまの愛の御心を無視し、拒絶するようなことがあってはならないのです。

 

 

本心の心は常に、明るいものと波長が合って、明るいものを引き寄せ・明るいものに引き寄せられるのが本性です。

業想念の心は常に、暗いものに波長が合って、暗いものを引き寄せ・暗いものに引き寄せられるのが本性です。

 


『今』自分自身が、本心の心を自覚するか、業想念の心の奴隷となるか、一瞬一瞬の選択が、幸・不幸を決定することになるのです。

本心の心の自覚を深めるには、常にプラスの言葉を使うことです。

マイナスの言葉を使えば使うほど、業想念の奴隷になってゆくのです。

 

 

 

自分自身を『無限の無限の愛で一杯!』と常にプラスに思い続けることは、本心の与える心・捧げる心・尽くす心を、自然に呼び起こすことになるのです。

そしてその愛の心を捧げる対象を見出して、心の交流・愛の交流・光の交流が行われ、一体感(悟り)が深められてゆくのです。

 


愛するということは、相手のすべてを自分の中に摂取することです。

“与え尽くす”純粋な愛の心であれば、愛する対象がどんなに業想念で汚れていても、その愛の光で洗い清めることができるのです。

 

 

しかし自分に”求める”業想念の心が残っているならば、業想念の少ないものを、愛する対象に選ぶのが良いのです。

お互いの心が交流され、業想念と業想念が交流されたら、業想念の心に惑わされて、愛したくても愛せなくなってしまうからです。

だから先ず一番に、神さまを愛することから始めるのが良いのです。

 

 


神さまは無限の無限の愛の持ち主です。

神さまの為に、与え・捧げ・尽くすことによって、神さまの無限の無限の愛を受けることができるからです。

そうして次に神さまを愛するように、周りの人を愛してゆけば良いのです。

 

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