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雨の高野山 早朝勤行そして写経・・・静かなるパワーアップ

この週末の土日、楽しみにしていた高野山の宿坊へ。

ときどきこのブログにも書くけれど、高野山はわたしのパワースポットの一つ。

理由?

そんなんないよ~

ただ感じる!

行くたびにビッとパワーアップする感じが。

空気も違う。

木々も違う。

建立物の荘厳さ、美しさ。

そして、仏様のたたずまい、お顔、厳しさ、柔らかさ。

それにしても・・・

1200年も前の時代に、弘法大師様はあの山奥に密教の道場をお開きになられたなんて、たいへんなたいへんなことだったと思います。

やはり、お大師様はこの山ならではの「力」をお感じになられて開山されたのでしょうね。

 

 

 

さて、今回わたし生まれて初めての写経しました。

これがわたしの初写経。

ずーーーーーっと「ありがとうございます」唱えながらの写経。

写経しながら思い出したのはずいぶん昔、写経していた父と母のこと。

なんで、父と母が写経していたかというと・・・

かれこれ・・・とにかくうーーーんと前、わたしが大学生のとき、二つ年下の高校生の弟がタバコ所持で停学自宅謹慎に!(弟よ、ブログで書いてごめん)

弟の通ってた学校は仏教系の私立男子校だったので、謹慎中の課題が反省文と写経でした。

母は少々感情的になって弟の不祥事を怒りましたが、穏やかな父は感情を荒げることもなく、

弟に「お父さんも一緒に写経をしよう」と。

そして母にも「きみも一緒にどうだ」

・・・というわけで、弟と父、母、それぞれが写経に取り組んだ一時期が我が家にあったんです。

もうとっくに忘れていたその場面が思い出されて、

今朝、一字一字書きながら、ありがとうございますありがとうございますと心で言いながら、

なんだか涙がこみ上げてきました。

なんの涙かなぁ。

しいて言うなら感謝の涙。

小学生のように黙々と文字を綴っていた父母の背中。

あの光景もまた幸せの一こまだったな、と。

そして、父の書いていた時間、母の書いていた時間、みんな写経という形の「祈り」だったのだな、と今日思えました。

 

 

 

おんなじ大きさの文字で罫線にそってゆがみもせず、かっちりとていねいに書かれた父の几帳面な写経。

この写経の何ヶ月後かに父は交通事故で他界しました。

父の遺した写経はかけがえないわたしたちの宝物になりました。

この父の文字を見るたび、護られているのを感じます。

ありがとうございます。

 

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