心配事の9割は起こらないようにできている!
一応・・・わたしカウンセラーやから。
こんなこと言うたらミもフタもないんやけど。
生きていることの奇跡に気づけたら、、、悩みなくなる。
でも、そんなこと、わたしに言いにくいお悩みを打ち明けてくださる方々には言えない。
もしか言ったとしたら、
あ、千都子先生に拒否られました~って
内心がっくりきはると思う。
悩むのは、真剣に生きているから。
悩むどの方も愛しい人々。
でも
悩んでるときって、ゼッタイに悩んでる“そのこと”しか見てないねん。
というか~
“そのこと”だけをあれこれ思うこと、それがイコール、悩むっていう状態なのかも。
一点しか見ていないと、当然のことながら、全体が見えない。
全体が見えないと、当然のことながら、良い決断、良い選択、良い行動などはありえない。
つまりは良い変化などもたらされるハズがない。
わたしの弟くんはとっても良い人です!(写真は何十年も前の姉弟です!)
正義感が強く、人一倍優しくて、思いやりに溢れていて、誠実で、まじめで、物事を損得勘定で決めたりしない。
少々欠点を申し上げますと、あんまり笑いのセンスがない。
なんでや?
姉ちゃんはこんだけおもしろいのに?笑!
それと、もう一つは、彼の性格が慎重すぎて・・・・「心配ぐせ」があります。
わたしは、どんな状態でも「オッケー!ラッキー!ハッピー!やったね!」
って、楽天楽天いつもお天気な性格、こ~んな調子だから、ときどき弟くんとはハナシがズレたりします。
ケンカはまったくしないけどね!
で、このたび、わたしたちの愛する母上がいよいよ施設に入所することになり。
その施設選びもやっと定まったのですが。
弟くんからの電話もメールも・・・プラスの言葉が・・・ゼロ。
一例をあげると・・・
・施設にお姉ちゃんが行き来するようになったら、行き帰り気をつけて襲われんように注意してほしい。
・お母さんはリハビリがんばらないと、このまま寝たきりなるぞ。
・施設でほかの人からお母さんがイジメられたりはせんやろうか?
どれもこれも、起こっていない未来の心配。
み~んな愛から発信されている言葉にはなるのだけど、でも、これは心の無駄遣い。
わたしは弟にメールを返した。たった一言だけど。
「心配事の9割は実際には起こらない。これ禅の教え」
弟からかえってきたメール。
「そうか、なるほど。心が軽くなりました。禅の教え、深いです!」
わたしまた返メール。
「でしょ?これが真理。今度坐禅組みにいくよ、一緒にいこうよ?」
「マジですか。謹んでご遠慮申し上げます」
・・・って!なんでやねん!!笑っ
ありがとうございます^^
2014.8.7