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68点のわたしとママゴンのパッチン

わたしの母は厳しかった。ほんとにこわかった。

怪獣ママゴン。

ぐずぐずしてたら怒った。

宿題もささっと済ませておかないと怒った。

 

 

怒ったらほっぺたをパッチンされた。

テストの点はいつもまぁよかったのだけど、小学校2年の冬、理科のテストで68点をとった。

どんな問題だったか、今も覚えてる。

羽子板の羽の絵があって、「はやく落ちる順に番号をかきなさい」。

羽の広がり方によって落下の仕方はどうなるか?を考えさせる問題。

ぜんぜんわからなくてでたらめ書いたらことごとくはずれた。

だから68点。

 

担任の先生が点数の横に「どうしたの?」と赤ペンで書いていた。

その字も覚えてる。あぁ、屈辱的。

 

家でテストを渡したら

「なに!この点数!」

と母は大きな声を出した。

わたしはパッチンされるのかと思って、首をすくめた。

「お母さん、恥ずかしいわ。こんな点数とったことないわ」

パッチンはされなかったけれど、お母さんの言葉が悲しくてぽろぽろと泣いた。

 

母は68点のテストを机の前の壁に貼った。

「もう2度とこんな点数をとらないように」と。

友だちが遊びに来たとき

「なんでテスト貼ってんの?」と不思議がっていた。

「ええねん、自分で貼ってん」とごまかした。

 

 

 

最後に母にパッチンされたのは16歳のとき。

巧妙なウソをついて、学校の帰りにロックコンサートに出かけて夜遅く帰ってきた。

ウソはあっけなくばれて・・・パッチンというより思いっきりぶたれた。

座っていた椅子ごと床に倒れた。

めちゃくちゃ痛くて悔しかったけど涙はでなかった。

 

 

 

母がわたしに謝ったのがわたし32歳のとき。

わたしが息子を生んだ冬。

母は小さな息子を見つめながら言った。

「この子を優しいに育てるんやで」と。

 

そしてさらにこう続けた。

 

「私はあんたを厳しいに厳しいに育ててきたわ。

今になってもっと別のやり方があったんや、と思う。

もう遅いのやけど。

でも、そのときは若かったし、それがええと思ってたんや。

あんたらには悪いことしたと思てるねん。

そやのに、よぉまっすぐに育ってきてくれたなぁ」

 

 

そのときの母の声はとっても優しかったのだけど。。。。

泣いたよ。

 

 

 

お母さんありがとうございます。

 

ありがとうございます

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