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どちらかが先に旅立つときには・・・

昨日の夕刊片づけようとして、ふと読者投稿のエッセー欄に目が。

なにげに読むうちに涙。

温かい気持ちになりました。

82歳の男性のエッセー。タイトルを奥さまの名前にするなんて。

どんなに仲良しの夫婦でもどちらかが先に旅立つ。

そのとき、わたしはどんな思いを連れ合いに残せることができるんだろう・・・

 

 

この短い一文には、幸せとは・・・家族とは・・・夫婦とは・・・いろんな答えのきかっけがあるような気もします。

 

 

「美栄子」  沢俊雄(82) 大阪府堺市西区

 今年6月、家内をパーキンソン病で亡くしました。82歳でした。亡くなったのは病院でしたが、意識をなくしたのは自宅の私の腕の中でした。最期は眠るようにゆきました。しかし最後の言葉を交わすことなく逝ったのは心残りで残念です。百か日の法要も終わった現在でも家内のことが頭より離れません。老夫婦を見るとうらやましく、不自由な身体だった家内をもっと優しく介護してやればよかったと深く後悔しております。夢にも出てきませんので、怒っているのかと思ったりしております。

 

 家内とはある銀行に18歳で同期入行でした。同じ係で机を並べて仕事をしておりました。家内の顔は赤く私は日焼けで黒く、よく「赤と黒」と冷やかされました。家内の真面目な仕事ぶりにひかれて25歳で結婚しました。結婚後しばらく「沢さん」と名字で私を呼んでおりました。その後2人の娘と3人の孫に恵まれ、幸せな毎日でした。家内は料理がうまく、特にかやくご飯が上手でいつもリクエストしておりました。

 

 約10年のパーキンソン病で最後は屋内でも車いすとなり、辛く苦しんだことと思います。しかし一言も弱音は言いませんでした。スイミングや登山旅行、ガーデニングと多数の趣味があり楽しんでいたのに、身体不自由になりかわいそうでした。私は酒が好きで盗み酒をよく注意されましたが、私の身体のことを考えてのことだったと思います。優しかった妻「美栄子」、最後まで病と闘い頑張ったぶん、これからはゆっくりとお休みください。

 

(産経新聞10月14日号「夕焼けエッセー」より転載)

fufu_roujin

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