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桜満開の靖国神社にてもの思ふ・・・

先日の日曜日、桜満開の靖國神社にて清掃奉仕をさせていただきました。

神社に到着したのが朝6時半。

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清々しい~

朝の空気をいっぱいに吸い込んで

全身の細胞がバッと目覚めるよう。

アタマの上には桜色

あーーーニッポンジンっていいな

はいいな、と。

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で、お仲間とともに手にしたのが亀の子たわし。

神社の参道の石畳にひざまずき、水をかけてはシャッシャシャッシャと磨きます。

もともとキレイやん?と思っていても、たわしで磨いて水で流してみると・・・

わぁ!その違いは歴然!!!

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また一枚また一枚と石畳を磨いていきました。

あとは持ってきた古タオルで丁寧に拭きあげ。

約二時間の清掃でしたが、参道もあまりにも広すぎて、磨くことができたのはほんの一部です。

でも神社さんも喜んでくださったとのこと。

ご奉仕させていただきありがとうございます。

 

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その後、作業着から着替えて正式参拝をさせていただきました。

いろんな神社で正式参拝の経験はあるものの、靖國さんは初めて。

 

 

神殿にあがると・・・・!

まず眼を奪われたのが・・・・・!

 

 

なんとでっかい鏡!!!

 

 

白雪姫の「世界で一番美しいのはだあれ?」みたいな

きれいに飾りで縁取られた大きな鏡がありました。

鏡はどの神社でも祀られているものですがとりわけ大きな鏡でした。

 

 

鏡(かがみ)から、真ん中の我(が)をとったら神(かみ)になる。。。。

このことは暦や日本の伝統、しきたりの専門家でいらっしゃる康光岐(こう・みつき)先生のご著書から知ったこと。

 

 

 

自分の姿を知るには「鏡」が必要です。

自分を映し出す「鏡」により、だれもが自分を知ります。・・・・

わたしたちの意識もまた同じこと。意識は眼には見えないけど・・・・どうやって見るのか?

自分の意識を知るには・・・・目の前の現実が鏡。

現実世界は自分の内面を映し出す鏡です。

 

 

 

いやだ、うっとうしい、腹たつ、キライ、きたない、醜い、、、、etc etc。。。。。。現実がそんなふうに見えてしまうのは「我」があるせい。

自我意識が感情を揺さぶるから・・・・なんですよね。

 

 

 

だけどもともとは、わたしたち誰もが「かみ」としての存在。

生きていくことって、「が」を手放す練習の道のりなのかな、と思います。

そういえば、、、、参道の石畳を磨いているときは、目の前の石畳だけを磨くのに夢中で「無私」の世界だったな、と。

ただただ心の中で「ありがとうございます」と淡々と繰り返していました。

大きな鏡からいろいろ思ったことでした。。。。

 

 

 

ありがとうございます

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