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余命宣告を受けた和尚さんは…

私の尊敬申し上げる方のお一人に禅宗円覚寺の横田南嶺老師がおられます。

先日、老師の法話を聴いていたら、こんなお話をききました。

 

 

 

老師と親しくされていた和尚さんのお話です。

その和尚さんは還暦前、というお歳とのことなので、50代後半の方なのでしょう。

まだまだ活躍できる年齢です。

ところが、あるとき、その和尚がスキルス性のガンと診断された。

ステージ4、つまり一般的には救いようのない末期のガンです。

余命は3~4か月。

 

 

 

和尚さんは当然修行を積んでいるわけですから、われわれ一般人のように慌てふためいたりはしない、、、、かと思いきや、

その和尚いわく

「やめます!」と。。。

 

 

ん?何をやめるのか、というと

良寛様のように「死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」ということだったと。

それほどまでにやはり目の前の「死」は、

自分の生命を失うということは恐ろしく避けたいことだったのです。

 

 

 

和尚は病室のベッドで座禅を組みながら考えます、、、、

「そうか、ああ俺ももう長くないのか。」

 

 


諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。
しかたがない。明日のことはわからない。
でも、今は生きてる。
これは絶対間違いない。
じゃあ、この今日をどう生きるか」。

 


その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉だったそうです。

 

その言葉とは、

明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。

 

 

 

その南嶺老師の言葉から、この和尚さんはご自身の四弘誓願(4つの誓い)を立てられました。

それは次のようなものです。

 

 

「私の四弘誓願」
いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう

 

 

 

この和尚は、亡くなる前日にも立派な法話をされ、その翌日も座禅をし、そして静かに天に召されたとのことでした。

 

 

 

昨日がどうであっても

明日になにが起ころうとも

私にできることは今どうするか?ということだけだ、ということを

このお話からあらためて教えていただけたように思います。

 

ありがとうございます

 

 

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