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本心の心をしっかり生きようとすること

本心の心をしっかり生きようとすること

 

 

業想念の心の奴隷状態から抜け出す為には、本心の心をしっかり生きようとすることが大切なのです。

自分自身の自由意志による選択が、全てを決定する大事な要因になるからです。

業想念の心の奴隷状態に陥ったのも、自分自身が本心の心をしっかりと生きなかったからです。

過去の惰性に流されるのも、常に新しい力を加えてゆかないからです。

 

 

 

本心の心の自分は、常に神さまの御心に従って、新しい表現を加え続けるものなのです。

神様の宇宙創造は、新たな全徳の無限の無限の輝きとなって、無限億万分の一秒で置き変わっているのです。

本心の心の自分は、その神さまの最高表現をお手本に、心の創造力を駆使して、自分の世界を表現し続けるものなのです。

 

 

 

業想念の奴隷に陥っていては、過去の自分の表現を繰り返すだけです。

未熟な表現を繰り返すだけでは、喜びは無くなるのです。

一瞬一瞬新たに新たに、より素晴らしい表現を加え続けることによって、無限の無限の喜びで一杯!となるのです。

 

 

過去を掴む業想念の心では、本当の人生を楽しむことはできないのです。

神さまの最高表現を、新たに新たに受け直せる、本心の自分に戻ってこそ、この世の人生も最高に楽しむことができるのです。

だから業想念の心から本心の心に戻ることが、何よりも何よりも大切なのです。

 

 

 

人は皆、心というエンドレステープを持っているのです。

心に受け入れたものを記録して、それを再生して表現するのです。

本来本心の心の自分は、お祈りによって神さまの最高表現を心に受け入れて、それを自分の世界として表現していたのです。

 

 

ところがいつの間にか、自分の表現の世界に囚われて、お祈りを優先させることの大切さを忘れてしまったのです。

そしてだんだんと現実という自分の表現の世界だけを、自分の心に記録するようになってしまったのです。

それでは過去の未熟な表現の繰り返しになるのです。本心の心の自分の生き方を忘れて、運命の奴隷に陥ってしまうのです。

そして神さまの最高表現とは雲泥の差のある、七難八苦で一杯の世界を表現してしまうのです。

 

 

自分の心というエンドレステープに、何を記録してゆくかが問題なのです。

自分の心に記録されたものが、現実の自分の世界となって表現されるのです。

現実ばかりを見ていては、現実から心に取り入れたものしか表現できないのです。

神さまの最高表現を現実化することなど、永遠に不可能なのです。

 

 

本心の自分をしっかりと生きるということは、お祈りを深めて、神さまの最高表現をしっかりと心に受け入れるということです。

五感の世界を去り、六感の世界を通り抜けて、神さまの最高表現の世界に、精神を集中してゆくことです。

その為には先ず、神さまの最高表現に波長の合う、祈り言葉を一心不乱に唱え続けてゆくことが大切なのです。

 

 

 

 

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