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印可書(いんかしょ)の持つ意味について

真の神さまの一番の願いは、真祈りを伝授して全ての思い・我(が)を消すこと。そうしたら、”虚”の世界が消えて、全ての問題が消えるそれだけが神さまの願い、目的。

 

真祈りとは何か?真(の神さまの祈り。真の神さまの働きそのもの。

 

真祈りの伝授は、真の神さまが降り立たないと伝授にならない。真の神さまの働きはどれだけ大きいか。

 言葉だけでいくら説いていても、みんなまだ実感がない。

感覚の実感も、観ずる方の心の目で見つめる実観も、まだまだ浅い。

今回、真祈りの本当の秘奥義を伝授するための印可書が、神さまからプレゼントされる。

本当に真祈りの秘奥義を体得している人には、この印可書は必要がない。

 

印可書の意味とは何か。修了書・卒業証書、秘伝を伝えるための秘伝書、奥義書(おうぎしょ)という意味もある。

 本当の印可書は本当の悟りを開いているかを、神さまが認めてくれるかどうか。その段階を評価して、本物かどうかをしっかりと認定してもらう。

でも、それだけだったら何の役にも立たない。悟りへの道を歩む過程において、色んな難関、関所が一杯ある。

 

この関所を通り抜ける時に、神さまの的確な導きと、無限の大きい護りが要る。その関所を通り抜ける通行手形になる。

これを持っているから、護り続け、導き続けてもらえる。本当の悟りへの最短コースを歩ませてもらえる。

何もなければ受け取れないし、導きも護りも何もない。

これはお金では買えない、無限の価値のある貴重なもの。

粗末にしたら、悟りへの道は歩めない。自分の命よりも、もっともっと大事なもの。

 

”虚”の世界の、肉体の生命、魂の生命は取るに足らない。本当の真の神さまが真の自分という大きい自分から見たら、生命なんてゼロと同じ。

  同じレベルに見ていたら、本当のものは受け取れない。だから、生命よりも、何よりも大事なもの、大切なものという受け取り方が、必要になる。

  そして本当の悟りを与えてもらうための、本当の悟りを開くまでの大事なお護りになる。

 

一つの言葉でも、本心の自分が答えを出すのと、思いの自分が答えを出すのとでは、正反対になる。

  常に本心側に立って、答えを出そうとしても、答えが無限通りある。思いを全部消してもらって、我を全部消してもらってからが第一歩。

 

本心の自分の側に立って、真祈りの秘奥義に行くまで無限の段階がある。

思いが全部消えたから、本当の悟りが開けるか?そんな思いが消えたくらいでは悟りとは違う。

そんなもの悟りとほど遠いもの。

 思いが消えて、そして自他を分け隔てる我(が)が全部消えて、初めてそこが出発点。そこからこの奥義書が必要になる。本当の導きと護りが必要になる。

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