与えたものが与え返されるという法則
『与えたものが与え返される』というのは、厳然たる一つの法則です。
他を幸せにする為に、自分は何をどれだけ与えて来たかによって、今の自分の幸せに必要なものを、どれだけ与え返されるかが決定されるのです。
法則というものは、常に厳正かつ公平なものです。先に他に与えたものは、必ず利息を付けて返してもらえるのです。
先に他から借りたものは、必ず利息を付けて返さなければならないのです。
本心の与える心を生きる者が幸せになり、業想念の求める心を生きる者が不幸せになるのは、この法則からも明白なのです。
報いを求めず与え尽くすことは、最高の与え方であり、高利率の預金に当たるものです。
反対に強引に奪うことは、最低の求め方であり、高利率の借金に当たるのです。
本当の幸せを早く掴む為には、どんなに苦しくても、借金をしないで、預金をする生き方を選ぶべきなのです。
目先の利益を優先するよりも、陰徳を積もうと心掛けることが、本当の幸せを掴む最短コースなのです。
同じ人に与えるに際しても、必要な時に・必要な物を与えるのが、相手を最も幸せにする与え方なのです。
同じ物を与えるに際しても、必要な人に・必要な時に与えるということが、物を生かす最善の与え方なのです。
本心の心が本当に必要としているものを与えれば、それは幸せに直結するものです。
業想念の心を満足させる為のものであれば、それは不幸せに直結するものです。
必要なものを与える場合に、特に注意しなければならないことは、本心が本当に必要としているものか、業想念の心で欲しがっているだけの、見せ掛けの必要なものかどうかを、しっかりと区別することです。
他を不幸にするような、またそれを助長するような与え方は、逆効果なのです。それでは自分自身も不幸せになってしまうのです。
神さまが与えて下さる、新たなる全徳の無限の無限の輝きを、感受する為には、自分も神さまへの絶対奉仕を、実践しなければならないのです。
神さまが自分のすべてを、与え尽くして下さるのに対して、人も自分のすべてを、与え尽くす必要があるのは、当然のことなのです。
神さまへの絶対奉仕とは
①先ず自我の心を死に切って、神さまの御心に帰一すること、
②神さまの導きに素直に従うこと、
③自分のすべてを捧げ尽くして、神さまが今最も必要としていることに奉仕することです。
絶対の帰一・随順・奉仕とは、神さまの最も奥深い・中心の・根源の大御心への帰一・随順・奉仕です。
また自我の心であれこれと理屈付けてするのでは無くて、本心の愛の心で・一体の心で・喜びの心で、無条件で帰一・随順・奉仕することです。
神さまへの絶対奉仕に生きる自分こそが、最高に幸せな本心の自分なのです。
2024.3.21