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知って犯す罪と知らずして犯す罪

知っておかす罪と、知らずして犯す罪と、どちらが重いか?

知らずして犯す罪の方が、はるかに重いのです。

 

何故なら知らずして犯す罪は、歯止めが効かないからです。

道理を知らないということ・無知が、一切の苦しみの根本原因であり、罪の最大のものです。

本心の自分を忘れて、業想念の奴隷に陥り、守護の神霊の御心を無視して、我の心をのさばらしていては、正しい信仰の道を歩むことはできないのです。

 

 

 

神さまを召使のように扱う御利益信仰は、間違った信仰の最たるものです。

だからいつまで経っても、本当の幸せを得ることができないのです。

 

正しい信仰とは、自分の生命をも捧げ尽くして、神さまに奉仕することです。

それによって、四苦八苦する業想念の心が消し去られ、無限の無限の幸せで一杯の、本心の心に戻していただけるのです。

 

 

1、生命も財産も一切が、神さまからの預かりものです。

みんなの幸せの為に、世界の平和の為に、生かして使うことこそが正しいのです。

マイホーム主義的に・利己的に・贅沢に生きることは、癌細胞と同じような生き方になって、自壊して全体をも滅ぼす元凶となるのです。

 

 

2、移り変わる姿に執着することが、生命の流れを妨げることになるのです。

執着心こそが、一切の罪の根本原因です。

執着心の積み重なったものが、業想念・五欲の心となるのです。

一瞬一瞬新たに新たに、神さまの最高表現を、感謝を深めて受け続けることを忘れ・怠ると、本心の自覚が失われ、業想念の心に陥ってしまうのです。

そして神さまの与え続けて下さるせっかくのプレゼントを、傲慢にも知らず知らずの中に拒絶してしまって、七難八苦の状態に自分を置くことになるのです。

 

 

3、自分の思い通りに生きるのも、他人の思い通りに生きるのも、どちらも業想念の奴隷に陥っているのです。

それでは、本当の幸せを掴むことはできないのです。

神さまの御心に・神さまの導きに素直に従ってこそ、真実の幸せへの道を歩むことができるのです。

 

その為には、すべてを『神さまの御心のままに』と任せ切って、ただひたすらに、呼吸をするように、『神さま、ありがとうございます』と唱え続けることが大切です。

そうすることによって神さまの導きと守りを、的確に受けることができるのです。

 

 

4、自分の生命を神さまに捧げ尽くしてこそ、新たなる神さまの生命が与えられ、それが永遠の生命の自覚に繋がるのです。

 

自分の生命とは、自分の時間のことです。

自分の時間を、神さまの為に捧げることが、神さまの為に使うことが、自分の生命を神さまに捧げたことになるのです。

 

 

即ち神さまの喜んで下さるように、感謝と奉仕の真祈りの道をしっかりと歩むことになるのです。

 

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