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一番悲しかった秋の日~教育者である母のこと

昨日今日は実家で母と過ごす日。
わたしが介護に通うようになって、ずいぶん母の表情が柔らかくなったように思います。
今日はお仏壇の花を取り換え、母となんとなく父の話になりました。

 

 

わたしの父は、ずいぶん前に交通事故で亡くなっています。
それは、わたしたち家族にとっては、一番つらい悲しい出来事でした。
今や孫の名前さえ記憶があやしくなっている母なのに、そのつらかった出来事は色あせることなく、昨日のことのように母の中にあるのです。

 

その日、父が交通事故に遭った、という警察からの第一報を受けたのはわたしです。

それは、晴れ渡った10月の日のことで、まだ夕方には早い、明るい時刻でした。
父は歩道を歩いていて、後ろからひき逃げされたとのことでした。
当時、母は中学校の教師。
警察に尋ねられるまま、わたしは母の勤め先を告げ、搬送先の病院を教えてもらい、受話器を握りながらわんわん泣きました。
病院に駆けつけると、顔面蒼白の母がいました。
父は集中治療室へ。

 

 

ひき逃げ犯人はすぐに捕まりました。
悲しいことに高校生の少年でした。無免許運転でした。
犯人が捕まろうと、集中治療室の父の意識はまだ戻りません。
少年の通う高校の校長先生や先生方が病院に来られ、母やわたしたちにお詫びされました。
そして、校長先生は母に「少年を退学処分にする」という意味のことをおっしゃいました。

 

 

すると、母はきりりと顔を上げ、先生方にこう言ったのです。
「その生徒を退学にしたところで、主人は元に戻りません。
 私も教育者です。
 どうかその子を退学にしないでください。
 退学にしてしまうと、その子が転落の人生を歩むことになってしまうだけです
 私はそんなことは望んでいません」。

 

 

その言葉を聴いたわたしはびっくりしました。
はっきり言って、ガーーーーーン!!衝撃でした。
だって、わたしの大切なお父さんをひどい目に遭わせた少年のことなど、どんなひどい目に遭っても当然、できるだけひどい目に遭ってほしい、ぐらいの気持ちでいたのですから。
そして、正直そんなことの言える母の気持ちは、あのときのわたしにはよくわからなかった・・・
んんん・・・・深すぎて戸惑いました。(u_u)

 

そして・・・

父は亡くなりました。

少年は退学になりました。

 

 

、、、あれから・・・・長い年月が経って。
あのときの少年は、もう何歳になるだろう。
そして今、その人はどうしているのかな、どんな暮らしなんだろうな、とふと思うときがあります。
結婚したのかな?子どもはいるのかな?・・・・
そんなとき、思います。
そのどちらであっても、
どうかその人が笑顔でおられますことを。
どうか温かい人生を生きておられますことを。
ほんとうに心から素直に思えます。祈れます。

 

 

そう祈れる今が有り難いこと。有難いこと。

感謝です。

ありがとうございます。

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