なんのために私たちは創られたのでしょうか。。。。ね?
なんかね・・・
例のイスラム国の報道が連日なにかしら耳に入り、、、たぶんたくさんの人が重い気持ちになっておられると思う。
だからこそ「祈り」をお伝えしたかったのです、今日は。
批判したり、非難したり、闘っても闘っても・・・
本当の平和は訪れない。
国の平和も一人ひとりの平和から。
自分の平和を乱さない生き方を選ぶことをしていこう、と思う。
今日の放送ではマザー・テレサが1979年にノーベル平和賞を受賞されたときの講演の一部をご紹介しました。
キリスト教の信者さんでなければ、イエスの御名前はちょっとなじまないかもしれないけど、
これはもう、宗教を越えた神さまのことと解釈して味わっていただければいいと思います。
そう神さまとは、宇宙のすべて(わたしたちを含め)を創造し、統一する大いなるエネルギーであり、決まりごとだと思います。
さて、放送した内容は下記のとおり。
マザー・テレサの講演【ノーベル平和賞授与式典にて】より抜粋。
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私たちは神に似せて創られました。
私たちは愛するため、また愛されるために創られました。
そして、彼が私たちを愛されたように、
私たちも互いに愛することができるように、
イエスは人間となられたのです。
イエスはご自分を飢えているものになさいます。
着る物がない者に、ホームレスの者に、病気の者に、
牢獄の者に、孤独の者に、望まれない者になさいます。
そしてこう言うのです。
「あなたがそれを私にしてくれた。You did it to me.」
彼は私たちの愛に飢えているのです。
それは、貧しい人々の飢えなのです。
そして、この飢えは、皆が気がつかなければならない飢えなのです。
それは私たちの家の中にもあるかもしれません。
イエスがこう言われたことを私たちは信じるのです。
「私は飢えていた。着る物がなかった。家がなかった。
望まれなかった。愛されなかった。大切にされなかった。
しかし、あなたはそれを私にしてくれたではないか。
“You did it to me.”」
私たちはソーシャル・ワーカーではないと思っています。
たぶん人々の目には、私たちがソーシャル・ワークをしているように
見えるかもしれません。しかし、私たちは黙想的な世界に生きているのです。
二十四時間、イエスの体に触れているのです。
二十四時間現存していらっしゃるイエスがいるのです。
あなたもそうなのです。
共に祈り、共に居る家族のために、
神と共に在り続けるように努めなければなりません。
私は、家庭に平和をもたらすことを邪魔する爆弾や銃は必要ないと思います。
ただ共に集い、隣人を愛し、平和を喜び、そして、
家庭で共にいることの力強さをもたらすことです。
この世にはあまりにも多くの苦しみ、憎しみ、そして悲しみがあります。
私たちの祈りと犠牲は、家庭から始まるのです。
愛は家庭から始まります。
私たちがどれだけのことをなすかということではなく、
どれだけの愛をこめて行うかということです。
神は全能です。
私たちがどれだけのことをなすかということは、問題ではありません。
神は無限なる存在です。
どれだけの愛を込めて行うかが大切なのです。
私たちが仕えている人々の中におられる神に、どれだけのことができるかです。
(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )
マザー・テレサさんのこの講演の言葉から、
身近な人に愛の存在であろう、とあらためて思いました。
そして、何をなすかに心を奪われることなく、どれだけ愛をこめて行えるかを自分に問い続けたいと思います。
ありがとうございます。
2015.2.5