新聞の「人生案内」から~忘れられない辛い記憶は
過ぎてしまったことなのだけれど、いまもなお自分を責め苛む・・・そんなことはありませんか?
多かれ少なかれ、誰にでも思い当たることはあるかもしれません。
先日のブログにも『ごめんなさい』というタイトルで、かつて書いたわたしのエッセーを転載しました。(1/24分)
あの朝のことはわたしには、いつまでたっても胸に苦い思い出なのです。
さて、下記の文章は、読売新聞の「人生案内」のコーナーからの転載。
掲載日は東日本大震災からまだ3ヶ月ほどのしか経たない、2011年5月23日分。
まずは、お読みください。
[祖母置き逃げた自分呪う]
(相談者)
大学生の女子。何をしていてもあのことばかりを思い出してしまいます。
あの日、私は祖母と一緒に逃げました。
でも祖母は坂道の途中で、「これ以上走れない」と言って座り込みました。
私は祖母を背負おうとしましたが、祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、怒りながら私に「行け、行け」と言いました。私は祖母に謝りながら一人で逃げました。
祖母は3日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。
気品があって優しい祖母は私の憧れでした。
でもその最期は、体育館で魚市場の魚のように転がされ、人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。
助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。
そんな自分を一生呪って生きていくしかないのでしょうか。どうすれば償えますか。毎日とても苦しくて涙が出ます。助けて下さい。(A子)
(回答)
お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました。
こんなに重い苦しみの中でどんなにつらい毎日かと思うとたまりません。
ただあなたは祖母を見殺しにしたと思っていらっしゃいますが、私にはそうとは思えません。
おばあさまはご自分の意志であなたを一人で行かせたのです。
一緒に逃げたら2人とも助からないかもしれない、でもあなた一人なら絶対に助かる。
そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒否したのでしょう。
おばあさまは瞬時の判断力をお持ちでした。その判断力は正しくあなたは生き抜いた。
おばあさまの意志の反映です。
人はどんな姿になろうとも外見で尊厳が損なわれることは決してありません。
たとえ体育館で転がされるように横たわっていても、おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うされたと思います。
おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないで下さい。
おばあさまが生きていたらかけたい言葉、してあげたいことを、周りに居る人たちにかけたり、してあげたりして下さい。そのようにして生き抜くことが憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます。
(回答者:海原 純子・心療内科医)
―2011年5月23日読売新聞ネットより―
おそらく、、、、どんなに言葉を駆使しても、、、正しい答えなどどこにもないのでしょう。
ただ、どんな事態からも、わたしたちは“善きもの”を受け取りながら生きてゆく、そのために試練と明日が与えられているのだと思います。
どんなに辛い記憶も、いまの自分に必要な光となる。
生きておればそのことに気づけて、いつか笑顔になれる日がきっとくる。。。。んじゃないかな・・・
この相談者A子さんにも、温かな安らぎが戻っていますように、と祈ります。
ありがとうございます
2016.1.26