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無欲・無我・無心の心に成った時

自腹を切る覚悟が無ければ、本当の責任ある生き方はできないのです.

自分のすべてを捧げ尽くす覚悟がなければ、どんな責任も果たすことはできないのです。

 

 

自分のすべてを捧げ尽くして、一切の責任を取ろうとするところに、真(まこと)の神の助けが降りて来るのです。

我欲を捨てて、自我を死に切って、無欲・無我・無心の心に成った時に、真(まこと)の神が現れるのです。

 

 

一切の責任を自己に帰す心は、真(まこと)の神の御心と一致するのです。

一切の責任を取ろうとする大犠牲精神の持ち主は、真(まこと)の神の座にまで引き上げられて、中心に立つ者となるのです。

即ち本心の自分に戻ることができるのです。

 

 

 

 

地球の滅亡を防ぐ為に、いのちを捧げて、全力を尽くし、その全責任を負います、という覚悟ができたら、直ぐに本心の座に引き上げてもらえるのです。

そして真(まこと)の神が応援に付いて、無限の能力を授け、必要な働きをさせて下さるのです。

 

 

誰かがしてくれるだろうと、他に責任を転嫁していては、本心の自分に戻ることは永遠に不可能なのです。

責任の重い立場に自分を置かない限りは、本心の自分を引き出すことはできないのです。

いつまでも先送りしていたら、本心の自分に戻るチャンスまで失ってしまうのです。

 

 

 

 

大自然の猛威に曝された時、人間の無力さに気付き、少しは謙虚になるものです。

七難八苦の嵐に見舞われた時、自己の無力さに気付き、少しは神に縋る心が起きるものです。

でもそうなる前に気付かなければ、本当の大馬鹿者です。

真(まこと)の神を無視した結果が、七難八苦の運命として現れているのです。

真(まこと)の神は、無限に無限に偉大なのです。

その真(まこと)の神の助けを拒絶し続けたら、運命が極端に悪くなるのは当然です。

 

 

 

 

大自然の悠久の神秘に触れ、大自然の無償の恵みに感謝し、大自然の『声無き声』に耳を傾け、一日も早く、『万物の霊長』として、報恩の行に生きなければならないのです。

人には地球の調和を守る、使命と責任が有るのです。

 

 

それを逆にして、地球の調和を乱しに乱しているようでは、人の存在価値が問われることになるのです。

地球の調和を乱す人間は必要無いのだと、抹殺されても、文句は言えないのです。

 

 

自分さえ良ければという人間は、人類さえ良ければという人間は、もう必要が無いのです。

真心から反省し、償いをしてゆこうとしなければ、真(まこと)の神の助けは受けられないのです。

 

 

 

物質文明を謳歌する贅沢三昧な生き方は、地球の調和を乱し、霊的精神的な幸せをも奪って来たのです。

今一度、真(まこと)の幸せとは何かを、しっかりと見極めなければならないのです。

 

 

欲しいものと必要なものとの区別を付けて、本当に必要なものだけで満足できる自分にならなければ、人類と大自然の調和は保てないのです。

自分一人の『勇気と責任』有る生き方が、地球人類の生き方を決定するのです。

 

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