肉体と魂を自在に使いこなす
道具を自在に使いこなせてこそ、本当の仕事ができるのです。
道具に使われ、道具に振り回されているようでは、本来の目的を達することは不可能なのです。
これと同じように本心の自分が、自己表現の道具である、肉体と魂を自在に使いこなせてこそ、神さまの御心をこの世に現すという、本来の使命を全うすることができるのです。
肉体や魂を自分そのもののように思っているのは、本当の自分、本心の自分を見失っているからです。
肉体を自分であると思えば、肉体の欲望に負けるのは当然です。
魂を自分であると思えば、過去世から積み重ねた業想念の影響を受けるのは当然です。
だから肉体や魂の自分が、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受することは至難の業であり、不可能なのです。
本心の心こそが本当の自分であると、しっかりと自覚したときにのみ、神さまからの新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受することができるのです。
だから何よりも先ず、この本心の自分の自覚を深めてゆくことが、最重要なのです。
そうすれば、本心の自分の立場から、肉体と魂を自在に使いこなせて、神さまの御心をこの世に現してゆけるのです。
本心の自分としての自覚の欠乏が、道具(肉体や魂)の奴隷状態に陥る根本原因なのです。
だから祈り言葉を駆使して、本心の自覚を深めてゆくということが、何よりも何よりも大切なことなのです。
本心の自分の自覚を深めてゆく為の一番の方法は、常に常に、本当の自分・本心の自分は、神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯なのだと祈り続け、大肯定してゆくことなのです。
そしてその本心の自覚をもって突き進めば、容易に神さまの御心をこの世に現すことができるのです。
どのような表現をする場合でも、心の中に無いものを表現することは不可能なのです。
神さまの御心・全徳の無限の無限の輝きを、この世に表現する為には、先ず自分の心に神さまの御心を受け入れる必要があるのです。
そして肉体と魂を道具として使いこなし、神さまの御心をこの世へ実現してゆくのです。
肉体は魂の自分だけでは、神さまの御心は判らないので、神さまの御心を表現することはできないのです。
神さまの御心を理解し、感受できるのは、本心の自分です。従って本心の自分の立場に立った時に初めて、肉体と魂を道具として、神さまの御心をこの世に実現してゆけるのです。
本心の自分の立場に立つということば、一瞬一瞬新たに新たに、どこまでも謙虚な・素直な・明るい・おおらかな・喜び勇む心になって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、具体的にしっかりと感受してゆくということです。
祈り言葉を駆使して、心に神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受すれば、後は自然に容易に、肉体と魂を使いこなせて、神様の御心をこの世に実現してゆけるものなのです。
『ありがとうございます』真書
2020.5.7