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【ありがとう便り】思い出のメロン

千都子さん、まなみさんこんにちは。
今日は40年程前のありがとうごはんのお便りします。

 


今から約40年程前、私が小学校6年になってすぐ父が初めて癌になりました。
6年生になったばかりの私は父の病名は知らず、大きな手術を受ける事だけはきいてました。

当時はまだ家族が付き添いできたので、母は家にはほとんど帰らず病院に泊まりこんで看病していました。
家の事は兄姉や祖父母でしていました。

 

 

ある日学校から帰り、急に病院にいる父に会いに行きたくなりましたが、1人で病院に行った事はありませんでした。
バスで行こうかな?

でも時間かかるな、他の行き方わからんしな。

ふと、そうや、自転車でバスと同じ道走ったらいいんやと思い出発。

バスだからバス停で必ず止まります。
私も自転車で止まります。
バスが発車したら私も必死でペダルこぎ、バス停で又止まる事繰り返し、府立医大に到着、急いで父の病室へ。
びっくりした父はどうして来たのか聞きました。

自転車でバスと同じ道を通ってきた事伝えたらびっくりしてましたが、今から加茂川に行こう、お見舞いにメロンもろたしたべよといい、父、母、私で
メロンと果物ナイフ持って加茂川河川敷へ行きました。

 

 


父がこのメロン🍈みんな食べていいで。1人で来た褒美やと言ってくれて、母がカットしてくれました。お見舞いのメロンですから味はバッチリ、
遠慮なく1人で一玉たべてしまいました。

 

 

晴天で、河川敷で食べる高価なメロンは、それはそれは美味しかったです。お見舞いのメロンなので塾し方も抜群。
あの頃は何もわからず美味しい美味しいと食べてましたが、今自分がその時の父の年齢になり、子供もいて、癌になり父の気持ちがどんなだったろうと思うと、どんなに不安だっただろう、どんなに色んな事考えただろう、自分の命の先の事も考えただろうと思う事ができますが、当時は知る由もなく無邪気にメロンをたべてました。

 

 

 

その父もその後も何度も癌を患いながら83歳で5年前に亡くなりました。

5年たった今でも会いたいです。父へ。
お父ちゃんあのメロン美味しかったよ。

全部1人で食べさせてくれてありがとう。
肉体では会える事はないけど、話したい事いっぱいあります。

このラジオのお陰で、川柳もほんの少し詠めるようになりました。

ありがとうもきちんと言えないままでごめんね。
大好きです。



京都市
平 里彩さんの「ありがとう便り」

ラジオ【ありがとうのじかん】に寄せられたお便り。2021年7月15日放送分

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