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「五劫の擦り切れ」~今野華都子先生のブログより

 

「なぜそんなに一所懸命生きるの?」
「もう 楽に悠々自適で暮らしたらいいじゃないですか?」と言ってくださる人がいる。

私は放って置いたら、虚弱な怠け者の人間です。
体力も無くて気力だけが、私を支えている時も多いです。
出来ないことばかりなのは、自分が一番よく知っています。
だからこそ出来ることを一所懸命やります。

幸い私は、上手く出来ることが少ないので、選択肢に迷っている暇がありませんでした。
そしていつも切羽詰まって「エイ❗️」とする決断ばかりでした。
出来ないことの連続で、プライドも何もあったものでは有りません。幾つになっても部下に教えを乞い。何度も聞いて確認して、、。

この年まで生きて、上手くやれることなど数える程しかありません。
世界の速度はとても早くて、私はいつも時代遅れです。でも、この現実の世を生きていかねばならないのです。
沢山の能力を授からなかったから、自分に授けられた能力で、自分の持たされた「魂」を磨き続けているのです。

1日休んだとしても何も変わりがないように見えます。
2日目もそんなに気づきません。
でも、1ヶ月、3か月、半年、1年と経って来ると、心の鏡がどんどん曇ってくるのです。
それは自分にしかわからない感覚です。
魂が永遠に生きて光を増していくなら、身体が与えられているこの一瞬一瞬を、五感の塊りである身体を使って一所懸命生きる。それが私の心の曇りの取り方であり魂磨きです。


今の私は「私の魂」のリレーの中間走者です。

小学生の時、運動会で早いもの遅いもなく、
皆一所懸命走ったよね。リレーは特に盛り上がった。次の走者へ渡されるバトン。
「宜しくね」、と渡され、受け取ったら一所懸命走るだけ、みんなの分まで全力で走るだけ。


私は足が遅いのでリレーの選手なんか回ってこないと思っていた。ある時、地区対抗である年代の人が足りなくて一度だけ走った。スタートまで本当にドキドキでもバトンをもらったら何も考えず、ただ全力で走った!
みんなの頑張りで良い成績で安堵したけど、リレーは足が遅くてもなんでも、その人が走らなかったら繋がらないのだ。私でいいのかなんて迷っている暇すらないのだ。


親子三代リレーは、おじいちゃんおばあちゃんまで一所懸命走ったな〜。いろいろだから盛り上がる。

子供のころ覚えた「じゅげむじゅげむ」に
「五劫のすりきれ」という言葉がある。


「劫(こう)」という長い時間のことを教えてもらった記憶がある。


「劫(こう)とは三千年に一度、天女が下界に降りて、羽衣で堅い岩を撫でて帰る。その岩が擦り切れて無くなる時間を一劫という。
五劫とはその5倍、どのくらい長いか体をもって想像もつかないほど長い時間だと。

「未来永劫」私の魂が働き続けるなら、私は、過去の私に対して「ちゃんと頑張ったよ」って言いたいし、未来の私に「宜しくね」っていいたから、今ここを一所懸命に生きる。


脇目もふらずとは言いわない。
時々花を眺め、虫と話し、山や小鳥の声に癒され、なによりも周りのみんなに助けられて、元気をもらいながら生かしていただいている。


一所懸命に生きるのは、誰に頼まれた生き方ではなく、それを私の魂が望んでいるからです。

人はみんなそれぞれでいい。
だけど私は、不器用に、今日を一所懸命生きていきます。
今日も自分からいい日にします。

どうぞ宜しくお願い致します。

万謝

 

令和2年3月14日分今野華都子先生のブログ記事を転載いたしました。

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