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ときめき地図「メッセージ」

先日奇妙なことがあった。

朝の四時前に電話が鳴り、なにごとかと飛び起きた。

闇のなかで携帯電話を掴む。

発信者はかつて勤めていた会社で部下だった井上君だ。

「もしもし!もしもし!井上君、なんかあったんか?」

私の切羽詰まった声とうらはらに、井上君はのんびり寝ぼけ声。

「中川さん、どないしはったんですか?」

 電話をかけてきたのは彼の方なのに、おかしなことをと思ったが、彼は、自分も電話が鳴ったので、起きて隣の部屋に置いてあった電話に出たのだと言う。

 

 双方の電話が着信のはずがない。

 発着の履歴を確認すると、間違いなく井上君からの発信になっているのだが、すっかり眠気の吹っ飛んだ彼は、「本当に僕はかけていません。電話の呼び出しで目を覚まして隣に取りにいったんですから」ときっぱり。

不思議なことがあるもんだ。

じゃぁ、いったい誰が二人の電話を鳴らしたのか。

「そう、不思議やねぇ。私たち二人が共通で知る人がかけてきたのかも。たとえば和田さんとか」

私はジョークめかして、もう何年も前に亡くなった、かつての共通の上司の名前を出した。

井上君は「ほんまですねぇ」とちょっと笑い、真相はわからないまま私たちは電話を置いた。

再び井上くんから電話をもらったのはその日の昼ごろである。

「中川さん、僕、出勤してから調べたんです。今日は和田さんが亡くなった日、お命日でした」。

 

 

和田さんは真面目で丁寧な仕事をする人だった。

人あたりは柔らかく、どんなときも誰に対しても親切で、また部下の話もよく聴く温かい上司だった。

冗談や駄じゃれも好きで、しょっちゅう人を笑わせた。

そんな和田さんから笑顔が消えたのはいつの頃だったのか。

もしかしたら、陽気さを装うなかに、既にその翳はあったのかもしれない。

ある頃から和田さんにまつわる金銭トラブルの噂が流れた。

やがて「和田を出せ!」と怒号のような電話が頻繁に職場にかかりはじめ、噂は決定的となった。

質素な和田さんとお金の問題は、私の中ではどうも結びつかない。

和田さんは無口になり、頬は灰色にこけていった。

問題が表面化して間もなく、和田さんは辞表を提出し、依願退職後ひと月経つか経たないかのうちに体をこわして、帰らぬ人となった。

 

 

彼の死後何年も経ったある夜、遅くまで残業していると、ふっと気配がした。え?と意識を向けた途端、和田さんの声がした。

「中川さん、がんばりや。がんばるんやで」。

私と井上君は、和田さんにお世話になった。きっとあの日の電話も、私たちへの応援メッセージだったのだろうと思う。

 

(「現代川柳」2013年9月号掲載)

*「ときめき地図」は、川柳誌「現代川柳」に連載されている中川千都子のエッセーのページです。

 

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