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【ときめき地図】おはよう

 年があらたまるたびに、すっと背筋が伸びるような気持ちで思いだす人がいる。

それは、私が入院していた4年前の冬、同じ癌病棟におられた男性のこと。

薬の副作用で髪も抜け落ち、顔も紫色でやせ細って、歩行器で歩くのもままならないほどであったが、歳の頃はまだ四十半ばだったと思う。

背の高い人だった。

 

 彼とは、毎朝洗面所で顔を合わせる仲だった。

病室も名前も知らない。

早朝洗面台が込み合わない時刻、歯ブラシ片手にそこへ行くといつも彼が先に来ている。そして、こちらが「あ」と思う間もなく「おはようございます!」と笑顔を向けてくれるのだ。

「あ、おはようございます」

もちろん私も挨拶を返して、一日はスタートする。

あとは洗面の水音がするだけで、互いに語らうことはない。

どこの癌なのか、手術はするのか、現在どんな治療を受けているのか…同病の身としては気にもなったが、朝一番の笑顔の「おはようございます」に、どんな言葉も流れていってしまう。

そんな細かいことどうでもいいか。

笑顔を交わし合える朝があるこの確かな幸せよ。

 

 見るとはなく見ていると、彼は自分が使ったあとの洗面台をきれいに拭き上げていた。

歩行器のままの長身を不自由に曲げながら、ペーパータオルできれいに水しぶきを拭っているのだ。

あんなに動かしにくい体で、次の人のために洗面台を拭くなんて。

その様子は私には眩しく、思わず下を向いてしまった。

次の日もそのまた次の日も、朝の洗面所では笑顔の挨拶も洗面台の拭きあげも変わることなく続いた。

 ある夜のこと、処置室の赤ランプが点りっぱなしとなり、病室前の廊下が異様にざわめいた。

ぱたぱたと何度も騒々しく行き来する人の足音。

そして、その日を境に、彼と洗面所で会うことはなくなった。

 

 私は十二月中に退院となり、新年を家族と迎えることができた。

こんなにも輝かしく、命あることを喜べる感謝にあふれたお正月は初めてのことだった。

注連縄も鏡餅も年賀状もお雑煮も梅のつぼみも冬枯れの芝生まで・・・目に入る全てのものが光を放ち、祝福に満ちていた。

私はその祝福のなかで、今ここに生かされている意味を思い、そして自ずと、死の間際まで笑顔を向けてくれていた名前すら知らない彼のことを思った。

 どんな過酷な状況であっても、自ら笑顔を広げることはできる、人に喜びを与える生き方がある、きっとそのことを私に伝えるために、彼との短い邂逅はあったにちがいない。

彼の肉体は新年を迎えられなかったけれども、彼から受け取ったものをこれからも私のなかで絶やさないように、と一月のきりりとした冷たさのなかでいつも新たに決意するのだ。

(「現代川柳」2014年1月号掲載)

*「ときめき地図」は、川柳誌「現代川柳」に連載されている中川千都子のエッセーのページです。

 

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