<きたなきこころ>と<うるわしきこころ>
地下鉄の座席を占領し、長くなって眠っている茶髪の若者がいた。
地下鉄は込んではいないけれど、座席はほぼ埋まっている状態で、立ってる人も多い。
その中で、長いす全部を占めて、腕組みし、ジーンズの足を絡ませて寝そべっている二十歳は過ぎてるだろう若い男性。
乗ってくる乗客は、一瞬ギョッとして、その席には近づかない。
不愉快そうに眉をひそめる人や、にらむように一瞥する人はいる。
だけど誰も何も言わない。
もちろんわたしも。
でも、わたしは、その場を去らないで、その彼を見ていた。
公衆道徳の守れないとんでもない男なのだけど、怒る気持ちよりは、静かな・・・なにか憐れな気持ちで。
昨日、「古事記を読む会」で、<きたなきこころ>や<うるわしきこころ>という言葉が出てきた。
<きたなき>の<きた>とは、「順序・秩序・けじめ・ものの分」のこと。
つまり、<きたない>とは、「秩序のないこと」であり「ものの分をわきまえていないこと」。
<きたなきこころ>とは「邪心」。
邪心とは<きた>のない、欲望に負ける心のこと。
昨日読んだ『古事記』のくだりでは、粗暴な行いをした須佐之男命(スサノオノミコト)は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の<ひかり>に照らされる。
そして、須佐之男命の<きたなきこころ>(乱れた秩序なき状態の心)に、<ひかり>が<きた>を与えることにより、<うるわしきこころ>になる。
わたしは、寝そべっている若者の<きたなき>姿に・・・あぁ、<ひかり>を受け損なっているんだな。
そう思った。
そう思えると・・・腹立ちなどよりも。。。なんか愛おしさがまた湧いてきて。
またまた涙。
なんでなんやろう。
このごろ。
自分と人との区別がなくなって涙出てくる。
トシのせい!?
うむむむ。
ところで、<うるわし>とは、今の言葉では単に「美しい」という意味のみだけど、本来の意味は、「論理的、倫理的、審美的、人情の上でもすべてにおいてよろしい状態」を<うるわし>と言ったのですよ。
つまり、どういうことかというと、
すべてにおいて“最高の状態”が<うるわし>ということ。
そして、日本人の最高目的とは
<うるわしきこころのうるわしきひと>とのことです。
『古事記』は日本人の生き方を示してくれるすごい書物。
ありがとうございます。
2015.3.8