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真剣というのはスピード化すること

神さまは常に真剣な生き方を願っているのです。

ナゼなら無限億万分の一秒という短い一瞬一瞬に、新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受するということは、並大抵の真剣さでは不可能だからです。

神さまの与えようとする真剣さに比べて、人の受けようとする真剣さが、余りにも足りなさ過ぎるのです。

 

 

過去を掴む業想念の心では、新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受することは、全く不可能なのです。

常に新生している本心の心であっても、一寸油断すれば大きく受け損なうことになるのです。

ましてや業想念の心というものは、常に神さまの愛を拒絶しているのです。

神様の与えようとする全てを、常に受け損なっているのです。

 

 

 

だから業想念の心は常に、不平不満不足の心で一杯なのです。

そして求める心を起こせば起こすほど、更に神さまの恵みから遠ざかることになるのです。

 

 

 

神さまから新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受する為には、過去の古い全てを神さまにお返しして、消し去ってもらう必要があるのです。

古いものを全部手放してこそ、新しいものを掴めるのです。

古いものを消し去ってもらってこそ、すべては新しいものに置き換わるのです。

 

 

 

真剣というのは、スピード化するということです。

より短い時間に、より多くのプラスのものを神さまから受け、それを実現化するということです。

だから真剣な心は本心の心なのです。

本心の心が大きく輝き出て来れば、真剣な心に自ずから成るのです。

逆に真剣な生き方をすれば、自ずから本心の心は大きく輝き出て来るのです。

 

 

 

命懸け即ち命を捧げる心になれば、真剣に成るのです。

命を捧げれば、新しい命・本心の心を与えて貰えるのです。

本心の心になれば、自ずから真剣に成るのです。真剣というのは、快刀乱麻を断つのです。

どんな難問題でも即座に解決するのです。

 

 

真剣な心・本心の心というものは、無限の知恵・無限の能力・無限の力を備えているのです。

何事も真剣に取り組めば、本心の心で相対すれば、道は開け、問題は解決するのです。

真剣な心の前には、不可能は無いのです。

真剣勝負というものは、一瞬の油断もできないのです。スピードの遅れが、命取りになるのです。

 

 

 

過去世に積み重ねた無限の業想念(無限の借金)を消し去ってもらう為にも、先ず自分自身が真剣に消し去ろうとしなければならないのです。

本心の心・与える心を生きるのを怠って来たから、無限の業想念(無限の借金)を積み重ねたのです。

だから本心の心・与える心を生きようと、命懸けで努力することが、救済の神々の助けを受ける為の必須条件なのです。

何事も命懸けで努力するということが、即ち真剣に生きるということが、救済の神々の助けを大きく受けて、本心の心を輝かすことになるのです。

 

 

『ありがとうございます』神書

 

 

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