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日本人の究極の幸せとはなんでしょう?それは・・・

今日はすてきなご縁をいただきましたよ。

博多の歴女・白駒妃登美さん

美人~っ

本も何冊か出しておられますが、コレ、ほんとおもしろい!

ワクワクして読めますよ、

歴史苦手な人も、いっぺんに歴史好きになると思う~!!!

白駒さんの歴史講座、登場人物の体温を感じます。

いきいきと躍動していて、まるで知り合い(恋人?)のお話でもされるように、西郷隆盛や福沢諭吉やそのほかお馴染みの歴史上の人物のことを語られます。

そして、史実とその日本人の足跡からたちのぼってくるもの・・・・

それは「日本人の生き方」

 

 

白駒さんは言います。

かつての日本人は、アタマや情ではなく、肚(はら)で生きていた。

 

 

西洋と日本では、「幸せ感」が違います。

それはどちらが良い悪い、ということではなく、国の持っている文化が違うから自ずと違ってくる。

西洋では「思い通りの人生」が幸せとされます。

つまり、欲望に対していかに達成されていくかが幸せ度数。

しかし、日本では、手放すこと、与えることが幸せ度にかかわってくる。

日本人の究極の幸せとは「自我を手放すこと」。

それを目指した。

 

なぜそのような違いがあるかというと、西洋と日本では「得意分野」が違うから。

西洋はどこまでも合理性を追求します。

日本は非合理や不条理を受け入れることから始めるとする風土がある。

さらに言えば、そこに美意識を見る。

だから、外人の人には、「一期一会」の意味がわからないそうです。

今後会う人ならともかく、もう会えない人を大切にする意味がわからない。

これはどちらが正解ということもない。

しかし、

お話を聞きながら、なるほど・・・わたしは間違いなく日本人なんだなぁ・・・と感じました。

 

 

話はそれるけれど、かつて、阪神の監督をされていた吉田義男監督が、フランスのナショナルチームの監督をされていたときの苦労話がおもしろい。

何に苦労したか?

フランスの選手にバントを教えるのに苦労したのだそうです。

なぜなら・・・

「自分を犠牲にして他を生かす」

・・・それが彼らには「わからない」

・・・というより「やりたくない」のでしょうね。

手放すことを潔しとし、そこに美学を見る日本人とは根本的に違うのです。

 

 

かつての日本人はたとえ自分を犠牲にしても、大きなことに貢献できる方を選んだ。

みんなのために、公に生きた。

日本人は夢に生きるのではなく志に生きた。

夢は個人的なものだけど、志はその人の肉体が滅びても継承されていきます。

日本の歴史は志のリレー。

報恩感謝のリレーなのですよ。

そういわれた先生の言葉がずっと胸に残りました。

 

わたしも肚で生きる生き方を日常の中でしていこうと思います。

ありがとうございます。

 

 

 

 

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