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【ときめき地図】青い石

 九月生まれの私の誕生日に、誕生石の指環を贈られたのがプロポーズだった。

 半世紀ほど昔の話である。

 ドラマティックな場面設定もなく、花束のような言葉もなく、仕事帰りに待ち合わせた賑わう地下街で、それは私の手の中に渡されたのだった。

 「ボーナス払いや」

ぼそっと言って、彼は照れたように笑った。

「開けていい?」

きれいな臙脂のビロードの小箱を開けると、小さなダイヤに縁取られたサファイヤの指環がきらきらと光っていた。

吸いこまれそうな静かに深い青である。

左手の薬指にはめてみると、シンデレラの靴のように、指にぴったりとおさまった。はめた手を握ったり広げたり、かざしたり裏返したり、ひらひらさせたり合掌したりして指環を眺めた。

見れば見るほどに美しい青である。

私には、この石がまるでどきどきと鼓動を刻む生き物のようにも思える。愛おしい。

自ずと口元から笑みがこみ上げ、それは全身にまで広がってゆく。私は間違いなく世界一幸福だった。

 

 私たちは多くの人たちに祝福され、新しい家庭を持った。

結婚をして、一年経つか経たないかのある朝のこと。

出勤の用意を済ませて、スーツを着込んだ夫が、上着の胸あたりを押さえて「財布がない」と言う。

置き忘れてはいまいかと、そこここを探し始めるのだが、見当たらない。

変やなぁ、と私も自分の財布を開いた途端「え?」。

前日もらったばかりの給料、十数枚の札が忽然と消えている。

 「・・・まさか、泥棒?」

 あらためて見渡すと物色された痕跡があちこちにある。

夫が警察に連絡を。

私は動揺に乱れながら、アクセサリーのしまってある抽斗を確かめた。

 ない、ない!ない!!

あのサファイヤの指環が見当たらない。

自分で買ったろくでもないアクセサリーならごろごろあるのに、あのサファイヤの指輪だけがない。そんなはずはない!

私はいらいらと抽斗を引き抜き、床にぶちまけた。

鎖の絡まったネックレスやブローチ、安全ピンやクリップなどのガラクタまでがジャラジャラ出てきて私は叫びそうになった。

どんなにガラクタを掻き分けても、あの指環はなかった。

 

警察の話では、盗品は裏ルートで売買され戻ってくることはない、とのことだった。

夫は代わりのものを買う、と言い張ったが私は断った。

あれから時を重ねて、色とりどりのいろんな宝石を幾つも幾つも自分の指環にしてきたが、サファイヤだけは今も持たずにいる。

私にとって、あれ以上に幸福な青い指環には、二度と巡り合えないからである。

(「現代川柳」2013年9月号掲載)

*「ときめき地図」は、川柳誌「現代川柳」に連載されている中川千都子のエッセーのページです。

 

 

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