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【ときめき地図】ともだち

 一番大きな荷物は冷蔵庫。その次はテレビ。あとは衣服とこまごましたものなど。

引っ越し業者は次々に母の荷物を運び出してゆく。

今日母は一年余りお世話になった介護施設から、また別の施設へと引越しをするのだ。

 

 施設の引越しを最初のうち母は拒んだ。

「私はここでええ」

ようやく馴染んだ毎日をまた一から始めたくなかったのだろう。

そんな余力などない、と言う意味なのか、

「もうよう生きた。えらい歳になってしもた」とぼそりと言った。

「でもな、お母さん、今度の施設は私の家から近いんよ。次のとこは私毎日でも行けるんやで」。

車椅子の母がゆっくり首を廻らせ私を見た。

「今度のとこは美味しいもんあるんやなぁ、千都子来てくれるんやなぁ、ええなぁ」。

 そうして母の引越しが決まった。

 

 新しい部屋に入るにあたって、リハビリシューズと寝具を新調した。

新しい部屋で、新しいシューズとお布団。きっと気持ちいいに違いない。

引越し初日の夕食は、私や弟たち、そして孫である私の息子も交えて母を囲んだ。

賑やかな食卓の母は、表情が少し緩んでいるようにも見えた。

 

 翌日、仕事を終えると、母のことが気懸かりで施設へと急いだ。

部屋を訪れるとそこに母の姿はなく、各階を探す。

ようやく談話室で、自分よりさらに高齢と思しきご婦人三人をお相手に、母がお喋りをしているのを見つけた。

背後から近づくとやがて話の内容が聞こえてきて

「うちの娘はねぇ・・・」。

それは私の自慢話だった。

お母さん、と後ろから声をかけると母は振り向き

「この子なのよ、今言うてたのは」。

ご婦人方は「まぁまぁ、そうなの」と優しい眼差しをくださった。

その温かい様子にほっとし、私は心の中で言った。

  どうぞ母をよろしくお願いします。

  どうかうちのお母さんの良いお友だちになってくださいね。

 

あぁ、よかった。

環境や人に馴染みつつある母の様子に胸を撫でおろし、施設を出ると、師走の夜風は痛いほどだった。

コートの前をかき寄せ、前かがみに歩きながら、突然はっと思い出した。

小学校のとき転校した冬の日のことを。

学校から帰った私に、母は毎日毎日、新しい友だちができたか、できたかと何度も聞いてきた。

あの日の母の不安の重さは、今の私の中に在るこの重さ。

そう思い当たると、今さら遠い日の母の胸の痛みに、わっと涙がこみ上げた。

風のおさまらない中をぼろぼろ涙を落としながら、前かがみのまま帰り道を歩いた。

 

現代川柳2016年1月号掲載。

「ときめき地図」は文芸誌『現代川柳』連載中の中川千都子のエッセイのコーナーです。

 

 

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