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【ときめき地図】ごめんなさい

その朝もいつもと何ひとつ変わらなかった。

キッチンにはコーヒーの香りがたちこめ、それぞれが自分でトーストを焼いて、食べ終えた人から出掛けていく、慌ただしい当たり前の朝。

 

 

母や弟たちもすでに勤めや学校に行ってしまい、大学生だった私は、コーヒーを飲みながら新聞に目を落としていた。

今日の授業は休講で、時間はたっぷりとある。

洗面所にいる父が、髭をあたりながら、私に自分のパンを焼いておいてほしいと言う。

快く引き受けたまではよかったが、食卓についた父が、その私の焼いたトーストの焼き加減に不満を呟いた。

「僕の好きなのはこんなんじゃなくて・・・」。

たちまち胸に小さな嵐が起こった。

私はバサバサと音をたてて新聞を置き、父の言葉にかぶせて言い放った。

「じゃぁ、お父さん自分で焼けば!?」

 

 

さっきまでのゆったりした朝の平和な空気は消し飛び、最悪の気分だった。 

 父は黙って新しいパンを焼き始めた。

私はガタンと席を立ち、父の顔も見ず、ぷいと二階の自分の部屋に上がった。

 

 

ベッドに転がりながら、ぐずぐずといつまでもおもしろくない。

なによ、人がせっかく・・・。

しばらくすると玄関で父の出かける物音がした。

「千都子、出かけるよ。ちゃんと戸締りしとけよ」

父が階下から二階に声をかけたが、私は無視を決めこみ、見送るどころか、返事すらしなかった。

とんがった心のまま、ごろりと寝がえりをうつ。

「行ってきます」

静かに玄関の閉まる音がした。

それが父との永遠の別れとなった。

 

 

 

 父はその日の夕方、歩行中に車にはねられあっけなく他界した。

それから今日まで、私は何度あの朝のシーンを繰り返し思いだしたことだろう。

なんであのときお父さんにパンを焼き直してあげなかったんだろう。

なんで「お父さん、いってらっしゃい」と笑顔で言ってあげられなかったんだろう。

なんであんな口のきき方を、なんであんなことを。

何年経っても思いだすたびに新たな涙が流れる。

時間が巻き戻せるものなら、あの朝に戻りたい。

 

 

 父の不慮の死は、当たり前のこと、約束されていることなど何ひとつないということを、私に深く刻んだ。初めは強い痛みを伴って。

やがてその痛みは淡くはなったが、小川となって私の根底を始終流れるようになった。

昨日の続きの今日のように見えてはいるが、実は昨日からも明日からも切り離された、単独の「今日」が延々と続いている。

だからこそ、今日、目の前の人に笑顔と愛の花束を。

自分の持ち得る温かい力の全てを。

いま別れた人と、明日また会えるという保証はどこにもないのだ。

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【ときめき地図】は『現代川柳』(現代川柳研究会発行)連載中の中川千都子のエッセーのコーナーです

 

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