【ときめき地図】ぶたれる
私は母にぶたれながら育った。
言うことをきかない子どもではなかったが、幼い頃は機敏な行動ができず、母の目にはのろのろとした私の動作が歯痒かったのだろう、「さっさとしなさい!」「なんでできないの!」の言葉と共に平手が飛んだ。
嘘をついたり、お稽古をさぼったり、買い食いをしたり、テストで悪い点を取ったりしたときも、大きな声と共に、母の手が私の頬を打った。
怒っていないときの母は、明るく陽気で冗談を言ってみんなを笑わせたが、そんなさなかでも、不意に母が手を高く上げたときには、私も弟もぶたれるのか、と身を丸めた。
それがただ高いところにある物を取るための動作だとわかるまで、私たちは小さくなったものだった。
最後に母にぶたれたのは、十六歳のときだ。
その日の放課後、家に嘘をついて友達とロックコンサートに出かけた。
門限ぎりぎりに帰宅でき叱責も受けずにすんで、ご機嫌でキッチンでお茶を飲んでいると、突如座っていた椅子ごと引き倒された。
たまたまかかってきた電話で、私の嘘が暴かれた瞬間だった。
「情けない、情けない!」と母は私をしたたかぶった。
ぶちながら「あんたも痛いかしらんけど、叩く方かて痛いんや!」。
母は哀しい目で「痛いんや、痛いんや」と繰り返した。
私が息子を出産したのは三十を過ぎてからだ。
産後の一カ月を実家で過ごした。
その頃母はまだ現役の教師で忙しくもしていたが、夜は赤ん坊をお風呂に入れたり、ミルクを作ったりと、うきうきとなんでもしてくれた。
「餅を食べると母乳が出る」としょっちゅう餅を焼いてくれたりもした。
静かな夜のことだった。
赤ちゃんはタオルを敷いた座布団の上でほかほかと眠ってしまった。
座布団にすっぽりとおさまる息子の小ささが愛おしい。
母が息子に視線を落としながら穏やかな声で言った。
「あんた、この子を優しいに育てや」
え、と私は目を上げて母を見た。
「優しいに、優しいに育てるんよ」
と、母は息子から目を離さずに唱えるように繰り返した。
「私は千都子も康文も、叩きながら厳しいに育ててきたやろ。
あの頃はそれが合(お)うてる、これでええと思ってた。
でもな、今にして思うねん。間違いやったわ。
もっと違う育て方があったんや。
同じことを教えるにも、もっと優しく伝える方法があったんや」。
意外な言葉だった。返事も待たずに母は言葉を続けた。
「あんたらには悪いことをした。
それでも、あんたらは曲がらんと、ようまっすぐに育ってくれたわ。ほんまに感謝してるんよ。 ありがとう」。
しみじみと話す母に戸惑い、言葉が見当たらずに、眠る我が子を眺めた。涙が出そうだ。
言葉が途切れた。
温かな沈黙だった。
ただ赤ん坊の微かな寝息を聴いていた。
(「現代川柳」2013年3月号掲載)
*「ときめき地図」は、川柳誌「現代川柳」に連載されている中川千都子のエッセーのページです。
2014.12.26