親愛なる福子さんへ
大切な福子さんへ
講座のあと、しばらくして教室にお戻りになられた福子さん(仮名)。
きっと、戻ろうか、このまま帰ろうか・・・胸を痛められたことでしょう。
よく戻ってきてくださいましたね。
そして、言いにくいお話を、たいせつなお話を打ち明けてくださって、わたしを信頼してくださってありがとうございます。
わたしを信じてくださるお心の重さを、しっかりと受け止めています。
ほんとうにありがとうございます。
ずいぶん長い間、がんばってきたね。
ほんとによくがんばったね。
辛い思いがあったね。
黙って耐えてきた福子さん。
あなたが黙っているのをいいことに(?)まわりの状況は変わらないどころか、まるでますますひどくなるようで・・・
それでもがんばったんだよね。
がんばったあなたは、なんにも自分を責める必要はないです。
でも、同時に、「こんなにがんばってきた私」を握り締めることもない。
手のひらを開いて、手放すこと。
あのね。福子さん。
不謹慎を承知で言いますよ。
これは一つのゲームです。
軽薄な言い方でごめんね、あなたのお苦しみを軽く受け止めてるわけではないのですよ。
けっしてそうじゃないです。
お伝えしたいのは
今の人間関係の中で、「素直なお姫様」と「意地悪な魔法使い」の役割でのゲームを繰り返してるのよ。
□□したら××されるのではないか?→ほら、された!ぎゃふん!
□□と言ったら××って言われるのではないか?→ほらほら、言われた!!ぎゃふん!!
良かれと思って□□してさしあげても、××と否定されてしまうのではないか?→ほらね、やっぱり!ぎゃふん!!!
これ、ぜんぶ、ゲームです。
さぁ、ゲームをやめましょう。
勇気を持って。
ゲームはね、嫌な気持ちになるのに、ナゼかやってしまうのよ。
なんでかというと、慣れ親しんで繰り返してやってきてしまったから。
じゃぁ、どうやってやめたらいいのか。
された、言われた→ぎゃふん!!の図式は、自分のいのちを相手のモノサシに合わせている。
・・・ではなくて、
「天のモノサシ」で自分の人生を生きましょ!!
天の意思=天意にそったモノサシで。
「天意」の別の読み方は「あい」=愛。
愛のモノサシで。
気づいたあなたから愛のモノサシで生きること。
相手が気づかなくても、変わらなくても、愛のモノサシで歩むこと。
ところで、だれもが知ってるディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』には、美しく無垢なオーロラ姫と、意地悪で冷徹な魔法使いが出てきますね。
魔法使いは姫に恐ろしい魔法をかけ、姫は眠り続けることに。
アニメでは、王子様のキスで姫は眠りから醒めたんでしたっけね。
昨年(だっけか?)『マイフィセント』っていう映画ありましたね。
この『眠れる森の美女』の話を、魔法使い側から描いた物語。
あのにっくき魔法使いなのですが、なんと、彼女なりに恋人に裏切られたり、ひどい目にあったりと、恨みに凝り固まる理由がその背景にある。
そして、姫に恐ろしい魔法をかけたあとも、後悔して魔法を解こうと試みたり、こっそり姫の命を救ったりと、苦悩するのです。
そしてね、物語では、この魔法使いは、オーロラ姫の自分を慕ってくる思いや、妖精たちや動物たちにも向けられる優しさ、愛の気づかいに触れ、その呪いの心もとけて、真実の愛に目覚めるんですよ。
福子さん
なにがなんでも愛のモノサシで生きることを選ぼ。
わたしも選びます。笑顔で。
ありがとうございます。
2015.8.5