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【ときめき地図】モグラのおばさん

 道を隔てた向こう、角(かど)っこの白い家には怖い顔のおばさんが住んでいた。

 生垣の合間から見える広い庭は芝生も美しく、果実のなる樹も植わっていて、季節には黄色い実が艶やかに実った。

手を伸ばせば届くその実に、私も弟も一切触れないのは、そのおばさんの顔があまりにも怖いからだ。

 

 その家の家族構成は外からはわからない。

おばさんの姿しか見ない。エプロンをしているからお母さんのようにも見えるが、旦那さんも、子どもの姿も見たことはない。

声も気配もしない。そもそも静まり返った家である。

 

 

 私は密かにそのおばさんを「モグ」と名づけた。

小さな目と不平そうな口元がモグラみたい、と思ったからだ。

 学校に行くとき、モグが家の前など掃いていると一瞬ギョッとするが、力を振り絞って挨拶をする。

「・・・おはようございます」

どの朝もモグから挨拶が返ってきたことはなかった。

少し傷ついた気分を味わうものの「ふん、モグめ!」心の中でそう毒づけば、痛快だった。

 

 

 母は社交的な人で、近所の誰とでも仲良かった。

しかしモグとは回覧板を回す程度で特段付き合いはなかった。

 あるとき、母が顔を曇らせて珍しくモグのことを話題にした。

隣の若い奥さんがモグにいじめられているようだという。

「ここらじゃあなただけよ、自分の家に住んでいないのは」と借家住まいを再三責められたり、ゴミの出し方をチェックされたりするらしい。

隣の奥さんは辛い辛い、と母に打ち明けていたようだ。

「意地悪な人なんやねぇ」と母は心配そうにため息をついている。

 「モグめ!」私は心の中で吐き捨てる。

 

 

 そういえば、と私は思い出した。

 私がここまであのおばさんを毛嫌いする理由。

それはあの夏のあの一言だ。

 

 母は家の前の空き地で家庭菜園に精を出していた。

きゅうりやトマトやなすやオクラ・・・いろんな苗を植えて楽しそうだった。腕を捲くり、ズボンの裾をたくしあげて、男顔負けで畑仕事をしていた。

 ある日曜の夕暮れ、そんな母の姿を見ていた私に、通りかかったモグがこう言って笑ったのだ。

「あんたとこのお母さん、ブサイクやね、あんな泥だらけになって。ようやるわ」。

 一瞬にして胸が塞がれる言葉だった。私はその言葉を振り切るように心の中で叫んだ。

「モグめ!」

 

 

 時は流れ、私は大人になり、やがて別の街に嫁いだ。

いつの頃からか、私はあのモグラのおばさんに障害を持つ息子がいたことを知った。

そしてその子が思春期に自ら命を絶ったことをも。 

 

 実家へ帰るときは白い家の前を通る。

表札はあのときのままだが、人の影を見ることはない。

 

現代川柳2015年5月号掲載。

「ときめき地図」は文芸誌『現代川柳』連載中の中川千都子のエッセイのコーナーです。

 

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